7月15日(貯木場・谷山港・七ツ島埠頭)


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14:05-16:30 天気:くもり時々あめ 海上:なぎ 風:ほとんどなし



今日は午前中と午後、一時強い雨が降りましたがその他はほとんどくもりで時折弱い雨が降る天気でした。 そう言えば、久々に熱帯夜から開放され日中も汗ばむことがないくらい涼しかったです。
さて、今日の1枚目は木材港の貯木場に以前からほったらかしにしてあるタグボートの写真です。 もう何年もこの状態のまま放置されています。写真を撮った時は潮が引いていたため全体を撮影できましたが、 満ち潮の時は船体の半分近くが水没しています。


右舷側の通路です。こちらはほとんど水没していますので、フジツボやらサビやらで真っ黒になっています。


後ろから撮影。最初にこの船を見たのは6年近く前でしたがその時も今と同じような状態だったので、 もしかしたら10年以上放置されているのかもしれません。


こんな風にさりげなく存在しています。 初めて近づいたのですが、うっすらと船名とプレートを読むことが出来ました。「早鞆丸」という船名で 高松市の四国ドックで昭和46年(?)に進水したようです。
鞆の字が入っていますので、もしかしたら竣工当時は広島の福山辺りの船だったのかもしれませんね。


谷山港へ移動してきました。
今日は火曜日なのでスタークルーズの「スーパースターカプリコーン」が着けていました。 いつも思うのですが、この場所ははっきり言って臭いです。この少し前のほうで飼料を船から 降ろしているのでその臭いがもろにやってくるわけです。何とかならないものでしょうかねぇ。
せっかく鹿児島へやって来てくれているのに、これでは観光客の方がかわいそうです。


ややややや、今日はたくさんの船が着けていますよー。
見えている船だけを紹介しますね。左のほうの岸壁から少し離れている船が清幸汽船(熊本県姫戸町)の 「ニュー清幸」(199t)、その後ろに隠れている白い船体が鹿児島大学の「かごしま丸」、「ニュー清幸」の 右の船は大泉物流(大阪市)の「第十八翔洋丸」(499t)、その隣が住友金属物流(東京都)の 「第八すみりゅう丸」(499t)、そして日本サルヴェージの「新洋丸」(498t)、最後が「新吉祥」です。
「新吉祥」についてはデータがありませんでした。多分、新造船かもしれません。


ジェネック(北九州市)の「千祥丸」(4,905t)がセメントを降ろしているところでした。
セメント船といえば甲板にある大きな構造物が目を引きますね。


よくよく見てみたら「第十八翔洋丸」と「第八すみりゅう丸」は全く同じ型の船です。
調べてみると造船所はどちらも佐伯市の本田造船で、建造番号は「第十八翔洋丸」が861番、 「第八すみりゅう丸」が862番なのでした。
おおーっ、こんなこともあるのですねー。


「新洋丸」は沈没したFD引き揚げの関係で鹿児島へやってきたのでしょう。この船は昨年の夏も 北朝鮮の工作船引き揚げ作業の際に鹿児島へ来ています。


「LI CHUAN6」というベリーズ船籍の貨物船です。ブリッジの構造などからなんとなく ロシアの中古船だろうなーと思いました。
一体何をどこから運んできたのかな?


「LI CHUAN6」の後部甲板に何気なく置いてあったジャガイモでしょうか?人の生活が感じられますね。


今月の1日にも見かけたロシアの「PREOBRAZHENSKAYA」です。
今回もたくさんの輸出用のクルマが準備されていました。


沈没したFDに関連する品でしょうか。日本サルヴェージの台船「正国」の横に揚げられていました。
小さなボート、太いワイヤ、大きなチェーン、ロープいろいろありました。


こんなアンカーも沈んでいたようですね。
引き揚げるのも一苦労だったのでは・・・。


「正国」の全景。コベルコのクレーンや水中で作業する際に使うであろうホースや、ケーブル、酸素ボンベなど 様々なものが置いてありました。


ふと沖を見ると鹿児島県の「くろしお」が入港してきました。動いているのを見たのは初めてです。


ガット船がよく着けているところへ行くと大道海運(熊本県松島町)の「第二誠光丸」(498t)がいました。 松島のガット船は何隻かが鹿児島に来て仕事をしているようです。
ちなみにクレーンはSKKの350GDA−W。ガット船のクレーンといえばSKKが多いですね。あと、 TSUKASA。この2社が多いのではないでしょうか。IHIやコベルコもありますが大きなクレーン以外 ではあまり見かけませんね。デザインで言うとSKKが好きです。 でも、TSUKASAのデザインもなかなかのものですよ。


「うりずん21」が着けていました。久々に見かけた気がします。
コンテナをたくさん積んでいますねー。


七ツ島埠頭の入口にひっそりとある「七ツ島保存記念碑」です。この場所はかなり人目につきにくい場所ですよ。 鹿児島市民でもこの碑の存在を知っている人は少なそうです・・・。
七ツ島と言うのは以前この海岸にあった七つの島で、古来から観光地として有名だったようです。 ところが、昭和48年に谷山臨海工業地帯第1号用地及び埠頭用地の造成にあたり、七ツ島の付近が埋め立て られる事になりました。その際七ツ島の中では一番大きかった父島には「月読姫命」を祭る祠もあったことから せめてこの島だけは保存して欲しいと付近の住民の方々を中心とした保存会が県と市に陳情書を提出、無事採択 されて昭和51年5月に父島保存のスペースが完成したとのことです。
今でもちゃんと島(と言うよりは岩)が保存されています。

撮影データ:ファインピックス